魅せられてしまったはなし

前回(随分前)のブログで、応援する決意について綴ったが、わたしが覚悟を持ってオタクをしているのには理由がある。それはわたしのオタク生活のはじめての挫折に由来する。


私がはじめてジャニーズを好きになったのは小学4年生の頃。当時ジャニオタだった姉と見た少年倶楽部がきっかけだった。

おそらく初めて見るin大阪、
そこで、伝説となる出来事が起こるのだ。

「いい加減、好きって気づけよ。」

その一言でわたしは小瀧望に落ちた。

その当時ののんさんは、まだ今の、
やんちゃな末っ子“のんすけ”ではなく、
黒髪クールな“望くん”だった。
そんな望くんに惹かれ、当時、姉の持っていた過去のアイドル誌の関西Jr.のページを読み漁る。
次の日も、また次の日も。

1週間かけて、たどり着いた先は“中田大智”。

あの頃のオラオラした関西ジャニーズJr.の中でも、
最前線で活躍していた彼だった。
次の週の少クラで沼に落ちたのは言うまでもない。
“近所の、ちょっと意地悪でガラが悪くて、ちょっかいかけてくるけど、なんだかんだ面倒見がよくて可愛がってくれるお兄ちゃん感”
のある大智くんをすごく好きになった。

2番目に好きなJr.はたくさんいた。菊さんとか龍兄とか、のんちゃんとか、文ちゃんとか。
でも、1番目は大智くんしかいなかった。

それから、毎月姉と一緒に雑誌を買って、
たまに出演するテレビを見て、
ゆる〜くオタクを続けていった。
松竹座の舞台、少年たちでは、ずっと大智くんの08番を目で追っていた。


そんな生活を続けてしばらく経った頃。

元関西ジャニーズJr.
中田大智容疑者
逮捕

元ってなに?容疑者って?逮捕ってなに?

あんなに活躍してたのに。関西Jr.の中でもトップを走ってたのに。なんで。なんで。

いくら考えても、疑問は増えていく一方で。
目の前に起こっている現実を信じたくなくて。

でも、1つだけ変わらない思いがあった。

大智くんが好き。


そんな彼が退所してから、
あたかも、そんな人元からいなかったかのように
ステージ上でキラキラアイドルしているB.A.DやVeteran、そして何より濱ちゃんを見るのが
辛くて仕方なかった。
ファンやタレントを妬みながら応援できるほど
強いオタクにはなれなかった。

今までのようにまっすぐな気持ちで応援できない。
私は、ジャニオタ生活2周年を前にして、
関西Jr.を応援するのをやめようと思った。




でも、簡単にそうはさせてくれなかった。
そう、林真鳥が。
その頃はまだ、担当と言えるほどでもなかったが、
あの時わたしを留まらせていたのは間違いなく
真鳥くんだ。

当時大好きだった大智くんは、
いつも大抵センターにいて、
常にマイクを持っていて、
バラエティのコーナーになったら司会をして、
常にみんなの中心にいるような人だった。

舞台上でも、わたしが探さなくても
勝手にそこに居てくれるような人だった。

彼が辞めてから、数え切れないくらい
少年たちのDVDを見た。何度も何度も。
目の前で歌って踊っていた大智くんを思い出しながら何度も。
誰も知らないJ学園は台詞を覚えるくらい、
何度も見返した。

そのうち自然と目に入ってきたのが林真鳥だった。
名前と顔こそ知っていたものの、
大抵誰かの後ろで踊っていて。
当時、真鳥くんに対しての知識が浅かったせいもあるが、関西Jr.が大勢いる舞台の上では、
目を凝らして探さないと見つからないような、
そんな人だった。
大智くんとは正反対と言っても過言じゃないくらい。
もちろん、公演中注目してみたことなんて
ほとんどなかった。
でも、DVDに映る彼の姿に何故か、何か、心惹かれるものがあった。

それでも、それからしばらくは公演にも入ったり入らなかったり。雑誌も買わないことの方が多かったし、
ファンと呼べるほどでもなかった。
正直、応援するのが怖かったのかもしれない。
あんな、ど真ん中にいるような人でさえ、
突然いなくなったりするのだから、
端っこにいる真鳥くんは、
本当に、いついなくなってしまうか分からない。
私は、もう応援している人が、突然いなくなってしまうのは耐えられないと思ったし、
そんな辛い思いは二度としたくないと思っていた。


この頃、関西Jr.と同時期に好きになっていた
関ジャニ∞の応援により力を入れていた。
でも、重岡担の友達の影響もあって、
(長くなるので別の機会に)
2013年ごろ、かねて、真鳥担を名乗るようになった。


それから真鳥くんはいろんな景色を見せてくれた。
楽しい思いもいっぱいしたし、
悔しい思いも数え切れないほどたくさん経験した。
関西Jr.を応援していく中で
それでも、わたしは真鳥くん担だということが
すごく誇りだったし、真鳥担が、一番自担に幸せにしてもらってると思っていた。



ある時、中山優馬くんの単独コンサートのバックに選抜されたことがきっかけで、真鳥くんは、非公式ながらfunky8の括りで活動していくようになった。
真鳥くんはfunky8のことを自分の居場所。ここに入れて、自分は救われた。と語ってくれた。

funky8は私たちにたくさんの夢を見せてくれた。
彼らが夢を語るのがすごく好きだった。
本当に単独コンをしてほしいと思っていたし、
彼らならそれができると信じていた。

でも、少しずつグループ内での仕事に差が見られるようになってきた。
他のメンバーが外部での舞台を経験していく中で、
真鳥くんもきっと悔しい思いをたくさんしたんだろうなと思う。
ここ最近は、松竹座も、先輩のバックについている関係で出れないことがあったけど、
真鳥くんが、振付という関西Jr.では真鳥くんにしかない武器を手にして、
真鳥くん振付のダンスを踊る関西Jr.はすごく素敵だった。
なうぇすとはわたしのオタク人生を語る上で欠かせないコンサートDVDだし、
JAMコンは一生忘れないと思う。

そんなこんなで、
迎えた2018年、あけおめコン。
受験勉強でこの頃全くと言っても過言でないほど
追えていなかったため、レポさえ見れていなかった。
そして、3月ごろに局動画で様子を知ることになる。
5:3の噂だけ耳にしていたが、こんなにまでも
はっきりさせられるのかと正直ショックだった。
普段、呆れられるほど能天気な私も、
この時ばかりは相当落ち込んだ。
3人に何か足りないものでもあるのかと
本気で悩んだ。
それでも、そんなほんの数分にも満たないような時間でも、画面に映る真鳥くんは私にとってはいちばん輝いている存在だった。

それから3人がバックに付いていたWESTivalには、
結局、一度も入ることが出来なかったが、真鳥くんのレポを見るとすごく幸せな気持ちになれた。
元々、能天気お花畑の私の口癖は
「真鳥くんすごい!かっこいい!天才!」だった。


そこから数ヶ月後あんなに苦しい思いをするとは
この時のわたしは一ミリも知らずに…笑
2018の夏は前にも綴ったように本当に何もない夏。
学情報のみで命を繋いでいた夏。
(この辺の詳しいことは前回のブログ)



そんなこんなで今日。

私は、元担のあの壮絶な退所を完璧に乗り越えたのかと言われれば、今でも「ん?」と感じるところがあるけれど、
あの時一番苦しかったのは間違いなく本人だし、
そんな彼が、いま、この世界のどこかで幸せに思える人生を送れていたらそれでいいかな、と素直に思えるようになりました。

こんなことがあったからこそ、
真鳥くんのファンになるまでに相当時間がかかったし、覚悟も必要でした。
ここ最近のJr.の推され方やお仕事を見ていて、やっぱり不安になることや悔しいことも少なくないけど、
やっぱり真鳥くんには、
真鳥くんの真鳥くんによる真鳥くんのための人生
の主役になってほしいので、前回認めた時と気持ちは変わっていません。

最後に。

真鳥くんは間違いなく
世界で一番“林真鳥”‼︎
絶対‼︎

9年弱を3000文字ちょっとでまとめたのはかなり荒業でした…
拙い文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。