アイドルの自担がコレオグラファーになったはなし


自分が想像していた以上に動揺しているし、
想像してた以上に落ち着いている。




わたしがはじめてジャニーズを好きになったとき、
10年ほど前。当時小学四年生。
1年半後には自担が退所する。
ステージにいるJr.は、元からそんな人いなかったかのように振る舞い、
応援することも許されないような、そんな状況。




あの頃とは、状況も何もかも違うのに、
応援しててもいいのかな
って心配になった。
この想いが重荷になっていないかな、
あなたの路を閉ざしていないかな、
そんな日々がしばらく続いた。




貴方の路を全力で応援する準備はできているのに、
何を応援すればいいのか、何と言って応援すればいいのか、応援する術も見つからない。



宙ぶらりんの状況が苦しくて、悔しくて。



それでも、彼が選んだ道を信じることだけしかできない私は、明くる日も明くる日も、彼が今日1日幸せでいられるようにと願った。





2019年4月11日
真鳥くんがかんじゅ日誌を更新した。
もう回ってこないかと思ってた。
このまま、元からいなかったかのようにされるのかと思ってた。



いつもと違う書き出し。
これだけで、何かを察した。



彼はジャニーズJr.を卒業するらしい。
ジャニーズ事務所所属の振付師になるらしい。



思いのほかそれらの言葉は私の中にすっと入ってきた。



真鳥くんは、彼の思いをアイドルとしてではなく、
林真鳥”として伝えてくれた。

神ちゃんが振付した新曲は、実は自分も振付構成として携わってたし、松竹座では、最高にFunkyで愛に溢れた千秋楽の公演も見届けた。と。



彼は、新しい人生が始まること、今後の自分への挑戦にワクワクしてると言っているが、
私も同じくらい、ワクワクしている。




彼の最後のかんじゅ日誌。
こんな時まで、事務所やファンへの感謝
そして、恩返しがしたい。という真鳥くん。
どこまであなたは真鳥なの。
どこまでだいすきなまとくんなの。
アイドルとかタレントとかそういう括りは無しにして
あなたという人間が素晴らしすぎる。




彼がまっすぐ見つめる先を、
私も一緒に見つめている。
ちっとも悲しくなんかないじゃないか。
彼が振付や構成を考えた舞台でキラキラするアイドル
想像するだけで絶対かっこいい。



彼は、ここ最近
“第1の真鳥”
“自分が1番林真鳥
という言葉を伝えてくれていた。

かつてこういう風に、自分でJr.卒業をこうもはっきりと伝えたジャニーズが関西にいただろうか。
それだけでもうすでに、
第1の林真鳥
じゃないか。




サヨナラじゃない”と彼が言ってくれたので、
私は明日も真鳥くんが好きだし、
また必ず会いに行くよ。



これからもう、URLの最後をドキドキしながら94に変えることがないと思うと、少し寂しい気もするが、
彼が一流振付師としてメディアに出てきた時、
私は自信を持って、彼は私の大好きな自担だと自慢するんだろう。


20年、30年先さ、みんなBIGでイケてるおじさまになって、ボクらの時代に出てさ、一緒に戦ったことを楽しかった思い出として語れたらいいよね。
funkyスペシャルで。




だいすき!すき!まとりくんすき!
かっこいい!すき!
ほんとにすき!
ありがとう!すき!!

忘れない、忘れたくない、8人のおはなし

今の率直な気持ちです。

________________________________________________


彼らは私たちより、人生をかけて夢を追ってるし、
私たちより、現実も知ってる。


グループや与えられた場所が違うってだけ。
8人が8人のことを好きなのには変わりないし、
8人は今も昔も、全部わたしが好きな8人。


はっすんが淳弥戻ってくるよ
って笑顔で言ってくれたのも、

丈くんが
古謝が喋ったぁっていじってくれてたのも、

リチャがまとくんのことを
この人の背中を見てれば間違いないって語ったのも、

淳弥さんが大地くんに
辞めんといてって伝えたのも、

誠也さんが
8人は家族みたいな存在って口にしたのも、

古謝くんが、funky8を知ってもらうために努力したい
って答えたのも、

まとくんが8人だけでコンサートしたい
って断言したのも、

大地くんが
funkyみんなで って残してくれたのも、

ぜんぶ。





彼らが過ごした時間は
何ものにも変えられない確かなものだし、
彼らが伝えてくれた言葉は
偽りのないまっすぐな思いだから。
それぞれの場所が違っても、
8人の関係は簡単には切れないし
過去はこれからも変わらない。

それは今回の春松竹でも、8人が8人を忘れてない事が
十分すぎるくらい伝わってきた。

わたしの大好きな8人は終わってなんかいなかった。


だからわたしは。
8人の言葉を。思い出を。
ぜんぶぜんぶ忘れないでいるよ。




いつか、全員が、
お互いに与えられた場所とか、
自ら選んだ場所とか、
頑張って掴んだ場所で、
一人ひとり、認められるようになって、
昔この8人が一緒に活動してた時代があってね…
って笑顔で話せる時代が来た時、
そんな無敵なグループがあったんだ
って思ってもらえるといいなぁ。



ちょっと天然でパパみたいなまとくんも、
しっかりしててママみたいなじゃーこくんも、
みんなからいじられちゃう誠也さんも、
仏さまみたいにおだやかな大地くんも、
冷静に見守ってくれるリチャくんも、
自由にボケまくる丈くんも、
何だかちょっとだけ不憫な淳弥さんも、
お兄ちゃんたちに甘やかされる大橋くんも、
みんなみんな大好きだよ。
8人それぞれの未来が、
8人らしくきらきら輝きますように。



funky1 大橋和也
funky2 朝田淳弥
funky3 林真鳥
funky4 古謝那伊留
funky5 草間リチャード敬太
funky6 末澤誠也
funky7 今江大地
funky8 藤原丈一郎

ありがとう大好きなfunky8
これまでも、これからも。

________________________________________________

わたしは、これからもfunky8が一番好きだし、
亡霊って言われても好きだって言い続けると思います。

言いたいことは1つだけ。
8人全員、漏れることなく

絶対に幸せになれよ!!!

未来に乾杯⭐️

魅せられてしまったはなし

前回(随分前)のブログで、応援する決意について綴ったが、わたしが覚悟を持ってオタクをしているのには理由がある。それはわたしのオタク生活のはじめての挫折に由来する。


私がはじめてジャニーズを好きになったのは小学4年生の頃。当時ジャニオタだった姉と見た少年倶楽部がきっかけだった。

おそらく初めて見るin大阪、
そこで、伝説となる出来事が起こるのだ。

「いい加減、好きって気づけよ。」

その一言でわたしは小瀧望に落ちた。

その当時ののんさんは、まだ今の、
やんちゃな末っ子“のんすけ”ではなく、
黒髪クールな“望くん”だった。
そんな望くんに惹かれ、当時、姉の持っていた過去のアイドル誌の関西Jr.のページを読み漁る。
次の日も、また次の日も。

1週間かけて、たどり着いた先は“中田大智”。

あの頃のオラオラした関西ジャニーズJr.の中でも、
最前線で活躍していた彼だった。
次の週の少クラで沼に落ちたのは言うまでもない。
“近所の、ちょっと意地悪でガラが悪くて、ちょっかいかけてくるけど、なんだかんだ面倒見がよくて可愛がってくれるお兄ちゃん感”
のある大智くんをすごく好きになった。

2番目に好きなJr.はたくさんいた。菊さんとか龍兄とか、のんちゃんとか、文ちゃんとか。
でも、1番目は大智くんしかいなかった。

それから、毎月姉と一緒に雑誌を買って、
たまに出演するテレビを見て、
ゆる〜くオタクを続けていった。
松竹座の舞台、少年たちでは、ずっと大智くんの08番を目で追っていた。


そんな生活を続けてしばらく経った頃。

元関西ジャニーズJr.
中田大智容疑者
逮捕

元ってなに?容疑者って?逮捕ってなに?

あんなに活躍してたのに。関西Jr.の中でもトップを走ってたのに。なんで。なんで。

いくら考えても、疑問は増えていく一方で。
目の前に起こっている現実を信じたくなくて。

でも、1つだけ変わらない思いがあった。

大智くんが好き。


そんな彼が退所してから、
あたかも、そんな人元からいなかったかのように
ステージ上でキラキラアイドルしているB.A.DやVeteran、そして何より濱ちゃんを見るのが
辛くて仕方なかった。
ファンやタレントを妬みながら応援できるほど
強いオタクにはなれなかった。

今までのようにまっすぐな気持ちで応援できない。
私は、ジャニオタ生活2周年を前にして、
関西Jr.を応援するのをやめようと思った。




でも、簡単にそうはさせてくれなかった。
そう、林真鳥が。
その頃はまだ、担当と言えるほどでもなかったが、
あの時わたしを留まらせていたのは間違いなく
真鳥くんだ。

当時大好きだった大智くんは、
いつも大抵センターにいて、
常にマイクを持っていて、
バラエティのコーナーになったら司会をして、
常にみんなの中心にいるような人だった。

舞台上でも、わたしが探さなくても
勝手にそこに居てくれるような人だった。

彼が辞めてから、数え切れないくらい
少年たちのDVDを見た。何度も何度も。
目の前で歌って踊っていた大智くんを思い出しながら何度も。
誰も知らないJ学園は台詞を覚えるくらい、
何度も見返した。

そのうち自然と目に入ってきたのが林真鳥だった。
名前と顔こそ知っていたものの、
大抵誰かの後ろで踊っていて。
当時、真鳥くんに対しての知識が浅かったせいもあるが、関西Jr.が大勢いる舞台の上では、
目を凝らして探さないと見つからないような、
そんな人だった。
大智くんとは正反対と言っても過言じゃないくらい。
もちろん、公演中注目してみたことなんて
ほとんどなかった。
でも、DVDに映る彼の姿に何故か、何か、心惹かれるものがあった。

それでも、それからしばらくは公演にも入ったり入らなかったり。雑誌も買わないことの方が多かったし、
ファンと呼べるほどでもなかった。
正直、応援するのが怖かったのかもしれない。
あんな、ど真ん中にいるような人でさえ、
突然いなくなったりするのだから、
端っこにいる真鳥くんは、
本当に、いついなくなってしまうか分からない。
私は、もう応援している人が、突然いなくなってしまうのは耐えられないと思ったし、
そんな辛い思いは二度としたくないと思っていた。


この頃、関西Jr.と同時期に好きになっていた
関ジャニ∞の応援により力を入れていた。
でも、重岡担の友達の影響もあって、
(長くなるので別の機会に)
2013年ごろ、かねて、真鳥担を名乗るようになった。


それから真鳥くんはいろんな景色を見せてくれた。
楽しい思いもいっぱいしたし、
悔しい思いも数え切れないほどたくさん経験した。
関西Jr.を応援していく中で
それでも、わたしは真鳥くん担だということが
すごく誇りだったし、真鳥担が、一番自担に幸せにしてもらってると思っていた。



ある時、中山優馬くんの単独コンサートのバックに選抜されたことがきっかけで、真鳥くんは、非公式ながらfunky8の括りで活動していくようになった。
真鳥くんはfunky8のことを自分の居場所。ここに入れて、自分は救われた。と語ってくれた。

funky8は私たちにたくさんの夢を見せてくれた。
彼らが夢を語るのがすごく好きだった。
本当に単独コンをしてほしいと思っていたし、
彼らならそれができると信じていた。

でも、少しずつグループ内での仕事に差が見られるようになってきた。
他のメンバーが外部での舞台を経験していく中で、
真鳥くんもきっと悔しい思いをたくさんしたんだろうなと思う。
ここ最近は、松竹座も、先輩のバックについている関係で出れないことがあったけど、
真鳥くんが、振付という関西Jr.では真鳥くんにしかない武器を手にして、
真鳥くん振付のダンスを踊る関西Jr.はすごく素敵だった。
なうぇすとはわたしのオタク人生を語る上で欠かせないコンサートDVDだし、
JAMコンは一生忘れないと思う。

そんなこんなで、
迎えた2018年、あけおめコン。
受験勉強でこの頃全くと言っても過言でないほど
追えていなかったため、レポさえ見れていなかった。
そして、3月ごろに局動画で様子を知ることになる。
5:3の噂だけ耳にしていたが、こんなにまでも
はっきりさせられるのかと正直ショックだった。
普段、呆れられるほど能天気な私も、
この時ばかりは相当落ち込んだ。
3人に何か足りないものでもあるのかと
本気で悩んだ。
それでも、そんなほんの数分にも満たないような時間でも、画面に映る真鳥くんは私にとってはいちばん輝いている存在だった。

それから3人がバックに付いていたWESTivalには、
結局、一度も入ることが出来なかったが、真鳥くんのレポを見るとすごく幸せな気持ちになれた。
元々、能天気お花畑の私の口癖は
「真鳥くんすごい!かっこいい!天才!」だった。


そこから数ヶ月後あんなに苦しい思いをするとは
この時のわたしは一ミリも知らずに…笑
2018の夏は前にも綴ったように本当に何もない夏。
学情報のみで命を繋いでいた夏。
(この辺の詳しいことは前回のブログ)



そんなこんなで今日。

私は、元担のあの壮絶な退所を完璧に乗り越えたのかと言われれば、今でも「ん?」と感じるところがあるけれど、
あの時一番苦しかったのは間違いなく本人だし、
そんな彼が、いま、この世界のどこかで幸せに思える人生を送れていたらそれでいいかな、と素直に思えるようになりました。

こんなことがあったからこそ、
真鳥くんのファンになるまでに相当時間がかかったし、覚悟も必要でした。
ここ最近のJr.の推され方やお仕事を見ていて、やっぱり不安になることや悔しいことも少なくないけど、
やっぱり真鳥くんには、
真鳥くんの真鳥くんによる真鳥くんのための人生
の主役になってほしいので、前回認めた時と気持ちは変わっていません。

最後に。

真鳥くんは間違いなく
世界で一番“林真鳥”‼︎
絶対‼︎

9年弱を3000文字ちょっとでまとめたのはかなり荒業でした…
拙い文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

覚悟のはなし

ずっとずっとずっと考えてて、

 

友達には、

「真鳥くんは絶対辞めない」

って断言してたけど、ほんとは自信なくて。

自分にも、

「今もきっと、次のコンサートの振付考えてる」

って言い聞かせてたけど、ほんとはずっと不安で。

「真鳥くんが辞めちゃった時の降りる先考えなきゃ~」

って冗談っぽく言ってたけど、ほんとは本気で考える日もあって。

でもそんなこと考えたくなくて、投げ出して、

そんなこと考えてしまう自分が情けなくて、

落ち込んで。

 

去年の夏。ほんとうに何もなかった夏。

毎日毎日、Jr.のプロフィール確認して、

URLの最後、94

変更して、検索ボタンを押して、

表示するまでのほんの数秒。

その数秒がものすごく長く感じて。

 

 

そんな長い長い、夏を乗り越えて、 

 

 

秋。

真鳥くんは、私の大好きな真鳥くんは、そこにいた。

信じてあげなかった自分を恨むくらい、

真鳥くんは強くて、かっこよくて。

 

 

もう何があっても私は平気。

だって真鳥くんはこんなに魅力的な人だ。

きっと、素敵な場所に連れて行ってくれる。

って、強くなったつもりでいたけど、

 

 

あけおめのコンサートのあと、

また、わからなくなった。

口では「いなくなったりしないよ」って言いながら、

ずっとずっと、考えてた。

何を考えてたのかもわからないし、

どんな答えを探してたのかもわからないけど。

 

 

 

1月20日

真鳥くんが日誌を更新した。

今までで一番待った気がする。

(実際に、ちょっと前にこれまでのスパンを計算したとき、次更新するのは17日付近だと予想していたから、かなり待った。)

 

真鳥くんの日誌を、何度も何度も読んで。

わたしは、

「真鳥くんは、覚悟を決めたんだ」

と感じた。

どんな覚悟かと問われれば、答えるのは難しいが。

真鳥くんが、自分で決めた道。覚悟。

おそらく、自分の仕事を蹴ってまで。

“自分のために、だけじゃない。

関西Jr.のために、ファンのために、

自分にしかない力を磨く。”

 

いつもの、“アイドル林真鳥”ではない、

1人の人間、1人の男としての。

林真鳥”としての、覚悟が見えた。

 

おそらくわたしは、

これから先、真鳥くんが、

このまま関西Jr.にプレイヤーとして残り続けようと。

時が来て、卒業しようと。

振付師として裏方に行こうと。

デビューしようと。

事務所を退所しようと。

表舞台から一切の姿を消そうと。

 

 

きっと納得する。

 

 

なぜなら、真鳥くんが選んだ道が間違いじゃないと言えるから。

 

 

真鳥くんが選んだ道。

きっとそれが、“第一の真鳥”だから。

 

 

今回の日誌は、ほんとうにいつもの真鳥くんが書いたのかって言うくらい。

いつもの、キラキラアイドル林真鳥とは比べ物にならないくらい。

今まであまり真鳥くんから感じたことのない、

“人間味”みたいなものを感じた。

(ただ単に、最近気が病んでいたせいだと言われればそうかもしれないが)

 

真鳥くんが、「ダンスがものすごく楽しい」という気持ちを隠しきれていない。

心の弾みが漏れ出ていた。

 

 

 

長々とわかった風にして書き並べてはみたものの、

真鳥くんの将来は一切見えていない。

だが、ひとつだけ決意をした。

真鳥くんも、覚悟を決めたのだから、

わたしもここで、覚悟を決めなければならない。

 

 

わたしはもう、真鳥くんに、どんなことがあろうと。

はたまた、仕事が全くなかろうと。

 

“真鳥くんを信じる”

 

 

ここまで書いておいてそんなことかと思うかもしれないが、これはわたしの中ですごく壮大だ。

わたし1人が応援しようがしまいが、真鳥くんになんら影響を及ぼすことなんておそらくないに等しい。

それでも、わたしは。

“第一の真鳥”の完成形を見届けなくては死んでも死に切れない。

どんなにわたしが不安に思っても、

真鳥くんは、いい意味で、

わたしの想像を裏切ってきた。

だから、きっとこれからも真鳥くんは、わたしの想像をゆうに超えてくる。

それが今は楽しみでならない。

 

2019年。

おそらく、向井康二にとっても、室龍太にとっても、なにわ男子にとっても、林真鳥にとっても。

関西Jr.にとって重要な1年になる。

関西Jr.が一体どんなワクワクを届けてくれるのか。

どんな時代を築いていくのか。

全力で見届ける覚悟はできている。